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支援者なのに、なぜ二級建築士と宅建…?

〜男女雇用機会均等法の波に乗った新卒時代〜

〜懐かしい昔の話〜

 「なぜ今、社会福祉士の勉強をしているのか?」というお話のなかで、社会福祉士の受験資格に必要な実習を指定機関で受けなかったために、社会福祉士の資格取得を諦めたお話をしました。

 

 今回は、私がなぜ、二級建築士と宅地建物取引士の資格をもっているか、というお話です。

 

 社会福祉士を取れなかった私は、一般企業に就職することにしました。

 

 昭和60年5月に男女雇用機会均等法が成立し、女性の先輩たちが総合職で就職し始めた頃でした。企業が育児休業制度を導入し始めたのも、ちょうどこの頃でした。でもまだ、女性は事務職(男性の補助)を選択する人も多かった時代でした。

 

 せっかく男女雇用機会均等法ができたので、男性に負けずにバリバリ働きたいと思った私は、総合職で採用してくれる企業に就職したいと思っていました。積水化学工業は女性総合職を積極的に採用している会社で、社風が良く、育休制度もできて働きやすいと高評価でした。化学系メーカーに魅力を感じていた私は、積水化学工業を志望しました。

 

 運良く入社できた私は、住宅部門の営業職に配属されました。とにかくハードな毎日でした。今のようにITが発達していなかったので、何をやるにもアナログ作業です。キャドはありましたが、資料も手計算で手書き。プレゼンテーションも手作りでした。

 

 今ならネットで見られる情報も、市役所や法務局に出向かなければ見られません。しかも、女性営業職には車が支給されていませんでした。これは会社のハラスメントではなく、女性営業職は再来型営業(展示場にお客様を呼び込む営業スタイル)を推進するためでした。車で数分のところにも電車やバスなどの公共交通機関と徒歩で移動していたので、いくら交通網が発達している大阪といえども時間がかかります。  

 

 本来の接客業務、調査、設計、プレゼン・見積書・資金計画の作成だけでなく、ご契約後のお客様の具体的な建築計画から工事中のご対応、引き渡しまでが営業職の仕事でした。営業職の抱える仕事量はとんでもなく多くて、毎日夜中まで働いていました。今思うと、自分でも不思議なくらい、本当によくバリバリ働いたと思います。

 

 女性営業職はまだとても珍しい存在でしたが、お客様からの評判は上々でした。

 

 女性はちゃんと約束を守ってくれる

 人当たりがソフトで相談しやすい

 女性ならではの視点で提案力がある

 まめに連絡してくれて仕事が丁寧  ...などなど。

 

 とてもやりがいのある仕事で、自分でも向いていると思っていました。

 

 しかし、結婚の話が出た時、会社は退職を勧めました。どうにか仕事を続ける方法はないかと、上司や人事部の先輩に相談してみましたがダメでした。その頃、折悪く病気が見つかり、入院と手術が必要になったこともあって、残念ながら退職することにしました。男女雇用機会均等法もできたばかりの頃は、まだまだこんな感じでした。風通しのよい積水化学工業でも、せっかくできた育休制度に「育休を取ってまで残ってもらいたい女性社員なんかいない」といわれる、そんな時代でした。今の人たちが聞いたら驚くでしょうね。

 

 そんなこんなで、その時の仕事の都合などで、宅地建物取引士と二級建築士をもっているというわけです。

 

 しかし、資格というものは本当に便利なもので、大学院に通う少し前から3年間、派遣会社から2月と3月だけ岡山大学生協の「新入生サポートセンター」というところで、宅地建物取引士として勤務していました。私としては、大学院の春休みを利用して学費を稼ぐという絶好のチャンスを与えられたわけです。本当に資格に助けられました。

 

 一緒にアルバイトをしている学生さんたちともお友達になり、キャンパスで会うと声をかけてくれたり、仲良しのメンバーでお鍋会をしたりカラオケに行ったり、元気な学生さんたちからパワーをわけてもらっていました。大学の情報なども教えてくれて、本当に心強かったです。

 支援者の私が、なぜ二級建築士と宅地建物取引士をもっているか...というお話でした。